スポンサーリンク

円山動物園のユキヒョウ「アクバル」の訃報

アクバルは2006年3月30日に円山動物園に来園。当時あった施設、熱帯動物館の中にあるユキヒョウ舎の室内檻に初入居です。入居してすぐに公開とはならず、檻の周囲をコンパネで囲っての非展示でした。

来園当初は生後9ヶ月だったアクバル。コンパネを外して公開されるまでは少し時間がかかり、初めて会えたのは6月24日のことでした。アクバルは1歳を迎えたばかり。まだまだあどけないユキヒョウでした。

アクバルが来園した2日後には、ホッキョクグマのララとピリカの初公開されました。

アクバルが公開された翌月には、アジアゾウの花子の60歳を祝う会が開かれるという、そんな時代でした。

アクバルの繁殖相手として、2006年7月28日にドイツ・ニュルンベルク動物園からリーベ(当時3歳)が来園しましたが、アクバルがまだ若かったので、しばらくは別居のまま飼育されていました。

初めての繁殖は2009年。アクバルが3歳、リーベが5歳の時でした。(ヤマト(旭山(没))とユッコ(王子))
2回目の繁殖は2011年。アクバルが5歳、リーベが7歳の時でした。(リアン(東山))

ユキヒョウは繁殖期だけ同居しますが、アクバル(右)とリーベ(左)はとても仲が良く、相性もばっちり。こうしてよく寄り添って寝ていました。この背中を見るのも好きでした。

アクバル(左)とリーベ(右)。アクバルの方が体が大きく、リーベよりも少し黒が薄いのが特徴です。
アジアゾーン寒帯館では、シジム(メス)との繁殖に挑戦しましたが、繁殖には至らず。同居期間中は非展示にするという動物園の方針が変わったため、アクバルとシジムが寄り添って寝る姿は見ることがありませんでした。

熱帯動物館時代から、檻越しに餌をもらう時には、檻に手をかけ、そのタイミングで爪切りが出来ていました。

以前のアクバルの個体紹介です。アクバルはアラビア語で偉大という意味。

夏の暑い時は、台の下の日陰で日中を過ごしていたアクバル。

雨が降ると、目がキリッとなるユキヒョウ。

若かったアクバルの華麗なジャンプが懐かしい。

アジアゾーン寒帯館に引っ越してからのアクバルで、ユニークだったのが、ネコ鍋状態の昼寝。木製の大きな植木鉢?樽?の中にウッドチップが詰められており、その中で丸くなってよく休んでいました。

メイン(1)放飼場では、人にはあまり見つからない場所で休むのも多かったですね。

下の犬歯が1本折れてしまったのは、コロナ禍で動物園が休園中の時のこと。当時寝室の隣にいたのはコハク(オス)でした。オス同士で少し興奮したのかな?
同腹兄弟であるシリウスは15歳(腎不全)で、異母弟コハクは13歳(腸閉塞)で、息子のヤマトは12歳(肝臓腫瘍)で亡くなっています。
アクバルの死因については、判明しだい発表されると思います。
私が一番長く継続して会うことが出来たユキヒョウが「アクバル」でした。ありがとう。
娘、孫、ひ孫たちをどうぞ見守ってあげて下さい。

コメント

  1. キルビル より:

    両親の面影を色濃く留める愛おしい個体でした。その名に恥じぬ姿を体現してくれたユキヒョウ生であったかと思います。何よりユッコ・ヤマト・リアンをこの世に送り出してくれたことを心から感謝します。アクバル、あなたの訃報は秋田にいる妹、孫、ひ孫たちに伝えてきましたよ。そして、あなたの後を追うようにスピカまで逝ってしまった。「悲しみは果てしなく」を聴きながらあなたたちのことを想う。ありがとう、どうか安らかにお眠りください。

    • MAYU MAYU より:

      本当に寂しいかぎり。スピカまでもでしたね。
      暑い中での遠征、お疲れ様です。ひ孫ちゃんの水浴びも見てみたかったです。

おすすめの書籍


       

       

タイトルとURLをコピーしました